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山形地方裁判所 昭和33年(行)6号 判決

原告 堀江良子

被告 山形県知事

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、申立

原告は「被告が山形県農地委員会の昭和二四年七月二日承認にかかる農地売渡計画により別紙目録記載の土地についてなした農地売渡処分は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。

第二、主張

一、原告の主張

(一)  被告は、自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第一六条の規定により、同法第一八条の規定による山形県農地委員会昭和二四年七月二日承認にかかる農地売渡計画に基き、政府の所有に属する別紙目録記載の土地(以下本件土地という)を訴外丹野栄吉に売渡し、昭和二六年五月九日その登記を了した。

(二)  しかしながら、右売渡の当時、本件土地は農地でなく、更に丹野栄吉は本件土地の賃借人でもなければ占有者でもなかつたから右売渡処分は重大かつ明白なかしを有し無効である。

(三)  すなわち、

1 本件土地はもと訴外五百川佐助の所有する農地であつたところ、原告の実父訴外亡阿部次郎(昭和二六年五月六日死亡)は大正一〇年頃からこれを賃借して小作していた。しかるに昭和一七年春に至り、右阿部次郎は息子(原告の実兄)の応召、原告の婚姻による去家等による手不足のため、これを二ケ年の期限で前記丹野栄吉に転貸していわゆる又小作をさせたのであるが、右期限経過後も右丹野がこれを耕作していた。そして、昭和二一年頃前記五百川佐助は本件土地を財産税法第五六条による物納として政府に納めた。

2 昭和二二年春にいたり、息子の帰還をみた阿部次郎は丹野栄吉との転貸借契約を合意解約しこれが引渡しをうけ、直ちにこれを工場敷地として訴外金原宏に転貸したところ、右金原はその頃これを宅地に造成しここに工場建物を建築した。

3 かくて、本件土地は原告の実父阿部次郎がその死亡にいたるまで所有者五百川(後に国となる)から賃借していたところであり原告は昭和二六年五月六日右借地権を相続により取得した(なお原告は同年八月本件土地上に存する工場建物を前記金原より譲りうけ今日まで製材工場としてこれを使用している)。

4 以上のとおり本件土地は、被告の売渡処分の基礎となつた売渡計画を定めた時期以前の昭和二二年春からすで自創法にいう農地でなく宅地となつていたものであるから、これを農地として売渡した被告の処分は重大かつ明白な違法あるものである。のみならず、仮にこれを農地として売渡すとすれば、売渡計画を定める時期における賃借人は上述のとおり原告の実父たる阿部次郎であるから、被告は同人に売渡すべきであつたのに、被告がこれを丹野栄吉に売渡したのは重大かつ明白な違法あるものである。

(四)  しかして、原告は、上述のとおり元来本件土地の売渡を受くべきであつた阿部次郎の地位を承継しているものであるから、右売渡処分の無効確認を訴求する利益を有するものというべく、したがつて右確認の判決を求めるため本訴に及んだ。

二、被告の答弁

原告主張(一)の事実は認める。しかしてその売渡の時期は昭和二三年一月二二日である。同(二)は否認する。同(三)の1は、原告実父の死亡年月日及び原告実父から丹野栄吉への又小作期間が二ケ年であつたとの点をのぞき認める。同(三)の2の事実のうち訴外金原が本件土地を宅地に造成しその上に工場建物を建築したことは認めるがその余の事実は否認する。本件土地は前記丹野栄吉が右金原に転貸したものであり、同人が工場を建築した時期は昭和二三年七月である。同(三)の3の事実のうち原告の相続に関する部分及び括孤内は不知、その余は否認する。同(三)の4は争う。本件土地は前記のとおり財産税法第五六条による物納農地であるから、被告がこれを自創法第一六条、同法施行令第一七条第一項第三号に則つて丹野栄吉に売渡した行為には何等違法のかどはない。

第三、立証〈省略〉

理由

一、原告が、かつて本件土地の小作人であつた亡阿部次郎の相続人であることは、原告本人尋問の結果によつて明らかである。

二、次に原告主張(一)の事実すなわち、被告は自創法第一六条の規定により、同法第一八条の規定による山形県農地委員会昭和二四年七月二日承認にかかる農地売渡計画に基き、本件土地を訴外丹野栄吉に売渡し、昭和二六年五月九日その登記を了したことは、当事者間に争がない。

三、原告は右売渡処分を無効の処分と主張し、被告はこれを争うものであるところ、原告主張の無効原因は、右売渡当時における本件土地の性質及び小作人の何人なるかという事実の問題に関するものであるので、先ず以下においてこの点に関する事実の如何をみたうえ、次いでそれが右売渡処分に及ぼす法律的影響について判断することにする。

(一)  本件土地は昭和二一年頃政府が財産税法第五六条の規定による物納によつて訴外五百川佐助から取得したものであること、その耕作者については、大正一〇年頃より原告の実父阿部次郎が右五百川からの賃借人として耕作し、昭和一七年から少くとも昭和二二年春頃までは丹野栄吉がこれを転借して本件土地につき耕作の業務を営んでいたことは当事者間に争がない。

(二)  原告は、昭和二二年春ごろ本件土地に関する阿部次郎と丹野栄吉間の右転貸借契約は合意解約されたと主張し、被告はこれを否認するので按ずるに、証人丹野栄吉、金原宏の各証言と検証の結果によれば次の事実を認めることができる。すなわち、阿部次郎はかねて本件土地の外、本件土地の東南側に接する山形市大字松原字下川原三一四番の二の畑をも前記五百川佐助から賃借りしており、昭和一七年以降も右三一四番の二の畑は阿部次郎が依然利用していたところ、同人が同地に植えていた桜桃の木が大きくなり、昭和二二、三年頃には日陰を作るようになつて同地を農地として利用することに難点も生じたので、阿部はこれを訴外金原の建築する工場敷地に提供することになつたところ、それだけでは敷地として不足なため、阿部次郎は本件土地の転借人である丹野栄吉に対し本件土地をも金原に提供するよう申し入れ、同人もこれに応じて右土地を金原に引渡したことを認めることができる(なおその時期については後述する)。

原告は、右のときに阿部と丹野との間に合意解約があつたというのであり、そして、原告提出の甲第二号証(耕作土地申告書)によれば本件土地の耕作者が阿部次郎となつていること、右申告書によれば本件土地の地積が四畝二六歩となつているところ、成立に争のない甲第一号証によれば本件土地については昭和三〇年一一月七日に分筆登記がなされてその地積が四畝二五歩となつているところから推して、右甲第二号証は少くともこれ以前に作成されたものであると推認されること並びに甲第五号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告主張の頃原告主張のような合意解約、引渡の事実があつたがごとくであるけれども、そもそも右甲第二号証上の丹野栄吉名義の署名捺印につきそれが同人の署名押捺にかかるものであるとの立証がないのみならず、右書面は前記のように昭和三〇年一一月以前に作成されたものであることは窺われるとしても、それが昭和二二年春以後に作成されたことについて何ら立証がない以上、これをもつて原告主張の線に沿う証拠とみることはできず、また甲第五号証については、証人金原宏の証言によりその成立は認められるとしても、同証人の証言ではその記載内容が真実であるとは認められず、結局原告本人尋問の結果のみでは原告主張の事実を認定することができない。他に前記認定をくつがえすに足る証拠はない。

以上によれば、原告実父阿部次郎と丹野栄吉間の転貸借が昭和二二年春頃合意解約され、阿部次郎がこれを金原宏に貸与したとの原告主張事実を認めることはできず、かえつて右阿部と丹野の間の転貸借は昭和二二、三年頃(その時期の正確なところは次に述べる)まで継続し、その後右丹野が(阿部からの申し入れに応じてではあるが)その転借りしている本件土地を更に金原に利用させるに至つたとの事実を窺うに充分である。

(三)  次に、本件土地が現在農地でなく工場敷地としてその上に工場建物が建つていること、しかして右宅地造成等は前記金原宏が為したことは、当事者間に争がない。そこでこれが農地でなくなつた時期について証拠をみてみよう。成立に争のない乙第三号証(特にその摘要欄)、同乙第四号証の一、二と証人金原宏、丹野栄吉の各証言によれば、本件土地上に工場建物が建つたのは昭和二三年七月頃であり、しかもその頃は規模も小さかつたが漸次増築していつたことが認められ、更に丹野栄吉は本件土地をできる限り耕作の用に供したく思つていたところから工場建築の殆んど直前に本件土地を金原に引渡したことが認められるので、本件土地が農地から宅地に変つたのも右工場建築と同じころ、早くとも昭和二三年三月二二日頃(これは後述のとおり旧金井村農地委員会が本件農地売渡計画の決議をした日である)以後と認めるのが相当であつて右認定に反する原告本人尋問の結果はかえつてその主張に沿わず、かつ、右証拠に照らしにわかに措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(四)  ところで、以上の如き本件土地の小作人の変遷及び土地の性質の変化が本件売渡処分の効力にどのような影響を及ぼすかをみるには、なお事実の問題として最後に本件売渡処分の計画樹立から売渡処分発効までの手続の経過をみておかねばならない。

そこで先ず、右売渡計画樹立の経過(特にその時期)についてみるに、成立に争のない乙第四号証の一、二、同甲第七号証の一ないし五及び証人枝松圭蔵の証言によれば、旧金井村農地委員会が本件農地売渡計画の決議をしたのは昭和二三年三月二二日であることが認められる。もつとも、成立に争のない甲第七号証の五の丹野栄吉に関する部分中本件土地の記入が他の部分とは異なり万年筆をもつて書き込まれているので、実際は、本件土地に関する旧金井村農地委員会の農地売渡計画が決議されたという右の時期よりもつと後の時期に決議され、それを右の時期に決議されたように記入されたのではないかとの疑いが一応起るのであるが、成立に争のない乙第四号証の一、二と証人横沢貞太郎の証言によれば、本件土地の買受申込はかねて丹野栄吉と阿部次郎外一名の競合関係にあつたところ、甲第七号証の四の阿部次郎に関する部分中に山形市大字松原字下川原三一四番の一、畑七畝二六歩が計上されているが、これについては証人横沢貞太郎の証言と検証の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、分筆以前の本件土地四畝二六歩と同所三一四番の二(本件土地の東南側)三畝歩の併合されたものが本件土地たる三一四番の一として誤つて記載されたものであることが認められ、しかも同号証を仔細に観察すると、その小計欄の面積は右三一四番の一の七畝二六歩を除外した数字であることが明らかであるから、これらの事情を綜合すると、本件土地である三一四番の一の四畝二六歩(分筆前)は、右委員会の決議のときにすでに阿部次郎に与えられないこと、換言せば、本件土地は右期日における決議において競願者であつた丹野栄吉に売渡すべきものと決定されたのでその時新たにそして最終的にその旨が丹野の分(甲第七号証の五)に記入されたものと認めるのが相当で、右認定をくつがえすに足る証拠はない。

しかして、右旧金井村農地委員会の定めた農地売渡計画は、昭和二四年七月二日に至り山形県農地委員会の承認がなされ、ここにこれが確定し、そしてこれに基き同年一二月中旬頃右による売渡通知書が丹野栄吉に交付され、その結果本件売渡処分は、右計画において売渡の時期と定められていた昭和二三年一月二二日にさかのぼつて発効したことが、成立に争のない甲第七号証の一ないし五及び同乙第八号証によつて認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

四、そこで、以上の争なき事実及び認定した事実に基き、それが本件売渡処分に如何なる法律的影響を与えるかを考察する。

(一)  先ず本件土地の性質(地目の現状)の変化が右売渡処分に与える影響であるが、本件土地は自創法第一六条、同法施行令第一二条、第一七条第一項第三号の規定によつて売り渡されたものであるところ、右によつて売渡すことのできる土地は農地でなければならないことは右各規定の文言に照らしても明らかである。しかし、その法意が、右売渡にあたつては、その計画樹立のときから売渡通知書交付のときまで対象の土地が農地の性質を備えるべきことを要求しているか否かについては大いに疑問なしとしないのであつて、自創法が可及的に自作農を創設せんとした趣旨、売渡を妨害するため故意に農地を宅地等に変ぜしめる行為によつて右の趣旨のさまたげられることをできる限り防がねばならぬこと、一旦宅地化された土地でもこれを再び農地とすることは可能であることなどの諸点を考慮しながら右の諸規定をみるときは、右売渡にあたつては、その売渡の時期とされたときにその対象土地が農地でなければならないことは明らかであるが、その他の時期については、農地売渡計画を定める時期において農地であれば足り、それ以後はたとえ当該土地が一応農地の性質を失つていてもなおかつ適法にこれを計画に定めた被売渡人に売り渡すことができると解するのが相当であり、そして右にいう農地売渡計画を定める時期とは、以上の趣旨に照らし、市町村農地委員会が農地売渡計画を樹立した時と解するのが相当であるといわなければならない。

そこで本件についてこれをみるに、本件土地が、本件売渡計画において売渡の時期と定められた昭和二三年一月二二日現在において、また、本件旧金井村農地委員会が売渡計画を樹立した同年三月二二日当時においていずれも未だ農地たるの性質を備えていたことは上記判示したところから明らかであるから、これについて前記の各規定に基く売渡処分をなすも、それを目して不適法な処分というに該らないものというべきである。

仮にこの点につき右「農地売渡計画を定める時期」をば「都道府県農地委員会が売渡計画を承認し(それにより売渡計画が確定し)た時」と解するとしても、本件のように、村農地委員会の計画樹立の当時本件土地が農地であつた以上、たとえその後県農地委員会の計画承認までの間に右土地が農地たるの性質を失つた場合でも、県農地委員会が右計画についてした承認に存するかしは、上来述べ来つたところの趣旨にかんがみ、その後に発効した本件農地売渡処分を無効ならしめるような重大且つ明白なかしということができないものと解するのが相当である。

(二)  次に原告は、本件土地を農地として売渡すときには原告の実父であつた阿部次郎に売渡すべきであつたと主張するのであるが、すでに理由三の(二)において認定したとおり、阿部次郎は丹野栄吉に昭和一七年以来本件土地をいわゆる又小作させたままであつて、昭和二三年一月二二日(売渡の日)当時も、また、同年三月二二日(計画樹立の日)当時も本件土地については右丹野がこれを耕作していたことが認められるのであるから、被告がこれを丹野に売渡しても違法はないというべきであるのみならず、一歩譲つて阿部次郎と丹野栄吉間の(転)貸借契約が原告主張のように昭和二二年春ごろ合意解約され、かつ原状回復がなされたとしても、右は、自創法施行令第一七条第一項第三号括孤内の場合に該当し、かつ前出甲第七号証の一ないし五、同乙第四号証の一、二及び証人横沢貞太郎の証言によればその場合の十全な手続が履践されていたことが認められるので被告の処置に不適法のそしりはなく、この点に関する原告の主張もまた理由がない。

(三)  以上の次第であるから、原告の本件請求はすべて理由がないものとしてこれを棄却すべく、訴訟費用は敗訴した原告の負担として主文のとおり判決する。

(裁判官 西口権四郎 小谷卓男 川上美明)

目録

山形市大字松原字下川原三一四番ノ一

一、田 四畝二五歩

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